答辞
息つく間のない激しい戦は今や皇国の存亡をかけて戦はれてゐる今日、ここに多数来賓の御臨席を賜り…。

昭和二十年三月十四日の卒業式に向けて、大阪市内の国民学校では連日、式の練習に励んでいました。
卒業式のために、地方に疎開していた六年生たちは大阪に一時帰宅していたのです。
しかし、卒業式は行われませんでした。
卒業式前夜。
三月十三日。
第一次大阪大空襲。
大阪市中心部は炎の海となり、一夜にして灰と化したのです。
その答辞は読まれることなく、戦火をくぐりぬけました。
それから三十年。散り散りばらばらに生き残った「六年生」たちが集まり、母校の百周年記念式典で、卒業式を挙行したのです。
昭和四十九年十一月三日の読売新聞に「30年目の卒業式〜空襲から守った答辞〜」として紹介されています。
それを六十七年目の在校生が、学芸会の劇で演じることになりました。
子から孫へ、そしてひ孫へ。「戦争」を知る・学ぶ・考える・伝える営みを続けていかなければなりません。

青い空は
青いままで
子どもらに伝えたい
燃える三月の夜
すべてが燃え尽きた
父よ
母よ
兄弟たちよ
命の重みを
肩に背負って
胸に抱いて
「青い空(替歌)」

糸井 利則
1961年大阪市生。大阪教育大学国語科卒。自転車で日本一周したり、台湾や韓国に住んだり、米国テネシーの日本人学校で講師、ニューヨークでウエーターや観光ガイドをしたりして、最終的にニュージャージー州立大学修士課程を修了。
現在は大阪市立小学校に勤務

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