おもろいんやで歴史漫談:「楠葉砲台」とフィンランド


「楠葉砲台」とフィンランド




考古学研究家 植田正幸




 フィンランドとスウェーデンが北大西洋条約機構(NATO)に加盟する方向に進んでいます。ウクライナの惨劇に、同盟による集団自衛権が必要との世論が大勢を占めたようです。
 北欧の話かいな?とお思いでしょうが、日本も嘉永7(1854)年にロシア軍艦ディアナ号が大阪湾に侵入したのです。ペリーの黒船来航の約1年後のことです。
 ロシア提督プチャーチンは開港通商を求めましたが「砲艦外交」に日本側は狼狽。1万5千人余りを動員し、大阪湾岸に布陣しました。さらに海防のため湾岸各地に砲台を設置。大阪湾を囲んで天保山、堺、神戸和田岬、明石舞子などに台場が設けられました。
 さて、樟葉駅から電車に乗り京都方面に進むと、数分で東側に緑の広場が見えてきます。「国史跡 楠葉台場跡」です。対岸の島本町高浜台場と共に日本で唯一、河川に設けられた台場で勝海舟が責任者となり建設されました。黒船の淀川遡上を阻止、京都防衛のためだったとはいえ、その水位を考えると極めて荒唐無稽な話です。
 戊辰戦争では、対岸高浜砲台の藤堂藩は錦の御旗を掲げ、幕府に反旗を翻し砲撃を開始。幕府軍は楠葉砲台付近で体制を立て直すつもりでしたが、総大将徳川慶喜の江戸城への退避を知り、士気を削がれ敗走していくのです。
今回は幕末日本とフィンランドの境遇を重ね、樟葉砲台を紹介させていただきました。




考古学研究家 植田正幸
埋蔵文化財発掘調査担当を経て、考古学・歴史講座を行う。 考古学・古代史探訪サークル顧問・専任講師 「生涯青春塾」北河内歴史講座を担