東日本大震災が発生してから、3月11日で2年になります。
発生当時、読売新聞でも、全社を挙げて取材にあたり、大阪からも、多くの記者が現地に派遣されました。私も、震災発生から2週間後に岩手県の被災地に入りました。陸前高田市や釜石市の避難所などを回り、被害の状況や、被災者の方々を取材しました。
奇跡の1本松で有名な陸前高田市の避難所で仲良くなった女性に、町を案内してもらった時のことです。「本当にきれいなところで、美しい海があって、海岸がずーっと向こうまで続いていて。大好きだった」と、懐かしそうに話してくれました。彼女は、家族は無事でしたが、建てたばかりの家が流されてしまったため、避難所でしばらく生活し、その後、仮設住宅に移りました。がれきの山を見つめながら、「私が生きている間に、もう一度、あの頃のような町を見ることはないかもしれないね」と話していた寂しそうな表情を今でも覚えています。
先日、久しぶりに電話で近況を尋ねたら、今でも、仮設住宅で暮らしているそうです。「町は更地のままで、復興住宅も建ってない。周りのみんなは仕事が無くて、本当に困ってる。家を再建するなんて、夢のまた夢だよ」と現状を教えてくれました。「何も変わっていないのに、最近は、めっきりニュースも減って、忘れられてしまったような感じがするよ」と、ため息混じりに話していました。
確かに、私も、日々の取材や生活に追われ、被災地のことを考える回数もずいぶん減ってきているように思います。実際に、義援金や支援物資、ボランティアも激減しているといいます。
東北の被災地は、何もかも津波で奪われてしまいました。町や人の暮らしが元に戻るまで、息の長い支えが必要です。新聞記者としても、被災地の現状や話題を記事にし、風化を防ぐことが使命だと思っています。
そのほかにも、義援金付きの商品を買うのでもいいし、チャリティーコンサートに足を運ぶのでもいい。忘れないことが大切なんだと、3月11日を前に、改めて心に刻んでいます。
読売新聞枚方支局 梶 多恵子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

ページ上部に