戦場カメラマン・渡部陽一さん講演も
heiwa戦前、3つの陸軍施設があった軍需の町で、現在も当時の面影が残る枚方市。1939年3月1日、禁野火薬庫が大爆発し、約700人の死傷者を出しました。市は、悲惨な歴史を二度と繰り返さず、平和の大切さを伝えるため、50年後、同日を「枚方市平和の日」と制定しました。
3月1日、市民会館大ホールでひらかた平和フォーラムが開催され、約800人が参加。校区に戦跡の残る中宮北小学校4年生と高陵小学校4・5・6年生たちが平和学習の発表をしました。禁野火薬庫の大爆発は京都の四条大橋から煙が見えるほどで、火災が2日間続いたことや、普段遊んでいるどんぐり山が爆発の被害を食い止める土塁跡だったことなど、昔起きた出来事をしっかり勉強して、校区戦跡巡りをした彼らは、「今までと見方が変わった。皆に知ってもらいたい」と訴えました。 また戦場カメラマン渡部陽一さんの戦場からのメッセージをあなたにの講演も。戦禍の国々で必死に生きる家族や子どもたちの写真を披露し、「20歳の頃、アフリカのジャングルを旅行中、子どもたちが大きな銃を持って闘い、血まみれになりながら『助けてください!』と泣きついてきた姿を見て、自分にできることは何かと自問し、大好きなカメラで子どもたちの声を届けようと思った」と、戦場カメラマンになったきっかけを話しました。 石油が原因で戦争が起きたイラクでは、落とされた劣化ウラン弾によりお母さんのお腹の赤ちゃんが重篤な病にかかるなど、いつも犠牲になるのは子どもたちと嘆き、「大人になったら海外に飛び出し、世界の人たちの声を聞いてください」と子どもたちにメッセージを送りました。
誰もが安心して生きていけるよう、私たちは平和の明かりを灯し続けなくてはいけないと強く感じました。(奥村美和子)

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