吉條義史先生を悼む

「私が通っていた小学校。山に囲まれて、川があって、同級生は15人。6年間クラス替えもなく、席替えしても大して変わらず、大人になった今でも仲がよくて、違う学年の子も先生も仲がよい。」

私の教師人生はその学校から始まった。慣れ親しんだ大阪ではなく、二十四の瞳を求めて奈良県教育委員会に僻地希望を出して講師に採用された。4年生14人の担任を任され、その時の6年生の担任が吉條先生だった。以来25年、年賀状を交わし続ける関係は続いたが会う機会はなかった。先週、フェイスブックでつながって新しい交流が始まったばかりの12月4日、訃報が届いた。急性心不全、55歳。
冒頭の言葉は、その時6年生の女の子。
奈良県吉野郡川上村立川上東小学校。すでに廃校ながら、大台ヶ原に行く途中、柏木という集落の吉野川の対岸。山の中腹に今も白い校舎が見える。もし前を通ることがあれば、こんな所にも学校があって、子どもたちと先生が生き生きと生活していたことに思いを巡らせてほしい。
吉條義史という、生涯を山奥の小学校の教育に捧げ、現役半ばで亡くなった一途な教師がいたことを心に留めてほしい。
先生の思いと志を引き継いで、教師人生を全うします。安らかにお眠りください。

糸井 利則
1961年大阪市生。大阪教育大学国語科卒。自転車で日本一周したり、台湾や韓国に住んだり、米国テネシーの日本人学校で講師、ニューヨークでウエーターや観光ガイドをしたりして、最終的にニュージャージー州立大学修士課程を修了。
現在は大阪市立小学校に勤務

吉條義史先生を悼む” に対して1件のコメントがあります。

  1. 希美 より:

    吉條先生が亡くなった事が信じられず、名前を検索してここにたどりつきました。あなたが乗っていたマークⅡ、あなたの優しさ、あなたの厳しさ、全部全部覚えてます。もう42歳になりました。きっと天国で見てくれてますよね。死ぬ前にあいたかったです。又会いたくなったら、ここに来ますね。大好き吉條先生…いつか会えますように…

    第一期卒業 希美

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